admin≫

 スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


拍手する

 いにしえ 「OSK春のおどり今昔譚」歌劇グラフs23・3月号 

3月になりましたね。
あと2週間で松竹座で春のおどりが始まります。
昭和23年の「春のおどり」について面白い記事を見つけました。
「歌劇グラフ」昭和23年3月号に「OSK春のおどり今昔譚」という記事が載っていたのです。
御紹介しますね。


OSK春のおどり今昔譚

道頓堀と春のおどり
 二月のはじめ、新大阪新聞社主催で、賑々しく、道頓堀まつりがおこなわれた。
 道頓堀の復活はすなわち大阪の復興であり松竹座、浪花座、中座、角座、道頓堀劇場と並んでいささか戦前の賑いを思わせるものがある。
 中座などは戦前のものよりもずっと良く、恐らく戦後復活した劇場建築中の花形の一つであろう。
 O・S・K名物「春のおどり」も道頓堀で生まれた。
 そして、今年は第二十二回目(※二十三の間違いか?)にあたるのであるが、これを機に歴史にさかのぼって古い源をさぐってみる。
 
歌舞伎と道頓堀
 今から三百年前の道頓堀は、何にもない荒野原であった。
 ここへ堀をつくり、この沿岸を中心に新大阪街をつくろうとした安い道頓は、工事半ばにして起こった大坂夏の陣で戦死し、その意志を継いだ安井道卜がその後十二年後の寛永三年に、今の南区安堂寺町にあった勧四郎町という芝居町をここへ移して繁華街をつくろうと企てた。
 歌舞伎はその勧四郎町で起こったとつたえられるが、京方面からもお国歌舞伎が、この道頓堀へやってきて、ここは日本演劇界の中心地となった。
 女ばかりの歌舞伎――それが寛永六年、法令をもって禁止され、代わって出てきたのが若衆歌舞伎であり、男ばかりの歌舞伎芝居がこれからはじまった。
 この歌舞伎はほとんど歌と踊りでつづられたものであったらしく、今日の「春のおどり」はこの形式から発展したものといってよい。
 その後幾多の変遷を経て元禄に至っては、阪田藤十郎はじめ名優雲の如く現れて、大阪歌舞伎は天下を圧した。次の時代である宝永正徳になると、近松門左衛門が大阪の竹本座へ入り、義太夫音楽の発展とともに、人形浄瑠璃が急速度に人気の中心となってきた。
 永い年月の間、文楽の人形浄瑠璃を保存した大阪の人形芸術愛好熱はこのあたりからはじまっている。
 またこの時代には、せり上げ、宙吊り、まわり舞台などの全く新しい舞台機構が発明された。
 今日の「春のおどり」が、メカニックな動きで、構成されているのは、何百年か前に、はじめてまわり舞台を発明した大阪演劇人の精神が流れているものにほかならない。
 二本の演劇史の重要なことは、このように大阪劇壇から生まれてきている。
 しかも、お国歌舞伎以来、すべて、音楽が重要をもってつくられている劇形式であることが特徴である。
 明治になって、京都で「都踊」がはじまった。
 それにつづいて大阪花街の「春のおどり」が起こった。

松竹楽劇部と春のおどり
 大正十年ごろ、当時人気の出てきた宝塚少女歌劇に対抗するために松竹が歌劇団をつくってこれを松竹楽劇部と名付けた。初代の教授として楳茂都陸平氏が迎えられた。氏は宝塚の創生当時にも関係しているので、二本の二大レヴュウ団とは切っても切れない縁がある。
 松竹楽劇部は、イタリイからテラコッタをもってきて美しく装った大阪松竹座を本城に活躍した。
 青山佳男、江川幸一、益田隆、山口國敏、松本四郎、塩尻精八、山田伸吉といった優秀なスタッフがここから生まれた。
 昭和の初代、各花街の「春のおどり」の形式に目をつけた松竹の千葉吉三松造氏が、楽劇部の「春のおどり」をつくることを考え且実行にうつした。
 第一回は五景三十分くらいの簡単なものであったがこれが大当たりに当たった。
 第三回が「虹の踊」ででこれは東京へ遠征し今日のSKDをつくるキッカケになった。
 タアキイ出現以前の東京レヴュウ界は、宝塚と松竹が上京して競いあったものである。
 その頃の松竹楽劇部は東京でも大した人気であった。
 この「春のおどり」が当時起こった新しいレヴュウ形式と結びついて、日舞、洋舞チャンポンの今日の様なものになってきた。以来O・S・Kはその形式を守って、毎年の「春のおどり」を構成しているのである。

「春のおどり」の生んだスタア
 楽劇部時代の大スタアは、飛鳥明子という今だにそのあとをつぐ者もない大バレリイナを生んだ。
 今日の笠置シヅコは、当時はるか下級の一新人にしか過ぎなかった。この他には香椎園子、藤代君江、若山千代、滝澄子などのスタアが並び、つづいて柏ハルヱ、アーサー美鈴、国友和歌子、雲井八重子などの一時代をつくり、その後に、秋月、芦原、勝浦の時代となった。
 「こがれこがれてラッキー・セブン」という当時、作詞家として売り出した菊田一夫のテーマ・ソングが流行ったのは第七回。このあたりから「春のおどり」はぐんぐん伸びて、宝塚陣を圧するばかり勢となり、ここに日本のレヴュウ界空前の豪華絢爛時代を作った。
 いかんながら、現在のレヴュウ界はこの時代とくらべたらどこもすこぶる無気力無風状態を呈している。
 なにしろ、赤い灯青い灯がきらめいた道頓堀全盛時代から「春のおどり」も華やかなわけで、いくら復興したりとはいえ、まだまだ夜は暗い現在の道頓堀、千日前では「春のおどり」ばかりがすばらしく出来上がるものではなかろう。
 しかし、そういった悪条件にもかかわらず、O・S・Kは今年の「春のおどり」には、全力をあげて豪華なものを作ろうとしている。

「第二十二回」春のおどり(※第二十三回の誤りと思われる)
 終戦後三回目に当たる今年は「春のおどり」の伝統的な形式に従ってはいるが、アイデアに於いて新しく、強い魅力を持とうとスタッフはけんめいの努力をしている。
 製作スタッフは、日舞を第一回以来の楳茂都陸平、洋舞を飛鳥亮、岡正躬、音楽を松本四郎、田代與志、浅井挙曄、美術山田伸吉という「春のおどり」にとってはベテランともいうべき人たちである。

 先ず、
〽春のおどりはヨーイヤサ
の掛け声で暗黒の場内がパッと明るくなると、

 第一景 「春ひらく」
 で、桜花らんまんと咲く朱塗りの御殿。そこに四十人の娘の都踊に賑やかに踊る。
 踊っているうちにだんだんと暗くなって夜となると、
 
第二景 「かがり火」
 夜ざくらに大きなかがり火。
 そこで四人の若者が踊る。

第三景 「藤娘」
 ひとりを中心に八人の藤娘の踊るあでやかな一景。

第四景 「青蛙」
 ここではガラリと目先きがかわって擬人化した青蛙のコミックな歌と踊り。
 喜劇的なワン・カット。

第五景 「春雨」
 江戸は木場の春。
 いなせな男と湯上りの小粋な女。それに長唄稽古帰りらしい町娘がからむ三人の踊り。

第六景 「おらが春」
 山国の田園風景
 桜の木の下で、オカメやヒョットコのお面をかぶった秋月、芦原の子供が踊るユーモラスな踊り。

第七景 「猩々」
 三人の猩々の踊り。
 楳茂都流独自のコッテリした日舞。
 ここで日舞は終わって、第二部洋舞篇にかわる。

第八景 「プリムローズ」
 アルプスの山村の春。
 村娘と男たちの群舞。

第九景 「春のシャンソン」
 フランス風の軽い歌。
 春のそよ風にのるシャンソン。

第十景 「春のロマンス」
 ロココ風の衣裳で踊る古風なミニュェット。

第十一景 「海の鷹」
 海賊の乗った船と、貴族(実はこれも海賊)の乗った船が出て止まると、宝物を取り合うチャンバラのあるドラマチック・バレエ。

第十二景 「カムオン・ミッキイ」
 前景を表紙にした本を読んでいるミッキイ・マウスがネ年の春を大さわぎ。あげくの果てに、お嬢さんの部屋へしのびこむ。

第十三景 「トオイ・シムフォニー」
 さて、ねずみども現れたお嬢さんの部屋とは、おもちゃがずらりと並んでいて、兵隊、木馬、ピエロ、黒ん坊らが、踊りさわぐ。
 そこへお嬢さんが来たので皆おどろいて元の場所へ逃げかえる。

第十四景 「月光」 
 ベニス。
 ゴンドラが出てくる。
 その上で歌っている若き男女が前景へ出て来て踊る。
 このあたりから、だんだん近代的な音楽になってくる。

第十五景 「白と銀」
 ベニスの夜は更けて、燕尾とドレスの男女踊り。

第十六景 「大阪四人娘」
 汐月満子若草かほる淺路八重子松波千里あきれた・がーるずの唄と踊り。

第十七景 「ロケット・ガールズ」
 二十六名のロケットの踊り。

第十八景 「ブギー、ウギ―」
 新しいスヰング、リズムにのるアメリカンライクの群舞。

第十九景 「桜ファンタジー」
 レリーフのあるバックの前で踊るタンゴ。

第二十景 「さくら咲く国」
 これは毎度おなじみのさくらさくらのフィナアレ。
 舞台一面の大階段に、銀の日傘をバチバチひらいたり閉じたり・・・・・・に、花吹雪で、めでたく幕が下る。
 以上が今度の「春のおどり」の内容であって、本誌は特別グラフィックをもって次号に見たままを掲載する予定である。

TS290089.jpg第二十二回“春のおどり”稽古たけなわ。左より振付の飛鳥先生、香住、勝浦さん


TS290090.jpg同じく岡先生(右端)とダンス陣


TS290091.jpg第三回の「春のおどり」舞台面



http://home.n05.itscom.net/amainfo/daigeki-1947spring.htm
「宝塚&OSK日本歌劇団共通ファン」のページおよび「OSK50年のあゆみ」では、スタッフ名が違うのですが、パンフレットをもっていませんので確認できません。

「あきれた・がーるず」っていうのは、「あきれたぼーいず」というのがあったけど、それを女の子でやったの?

「昭和23年」発行の歌劇グラフだから、第23回のはずなのに、「第22回」と繰り返すのはどうしてか?

「次号みたまま」は、近いうちにご紹介しま~す。



スポンサーサイト


拍手する

 この記事へのコメント 

nagakoさま
はじめまして!
コメントありがとうございます。
昭和20年代の松竹座の様子をご存じなんですね。
なかなか当時の資料を見つけることができません。
もしよかったら、どうぞいろいろ教えてください。
よろしくお願いいたします。

「千葉吉三」氏という方が支配人だったのですね。
教えてくださりありがとうございました。
松竹座の名支配人の名前は確か千葉吉三氏ではなかったか。
同時代を築き上げた方々とは面識あります。
この記事へコメントする














(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)
みんなで作るみんなで楽しむ演劇クチコミサイト、演劇ライフ

seiya

Author:seiya
OSK日本歌劇団のファンです。

このブログでは、昔のOSK、松竹歌劇団に関する話題と、OSK OGで現在も舞台活動をされてる方の情報を中心にアップしていきたいと思います。

OG情報友麻亜里洋あおい安希つかさ那月峻いにしえ美森あいか若木志帆波輝一夢ゆめのさよ寿依千沙月梨乃大咲せり花希望なつ紀珠希星佳水無月じゅん毬紗みのり花風ひかる水那れお恵宝ねいろ晴嶺真歩一色すぐるさあな大貴誠涼風うらら雪乃美玲森野木乃香貴城優希吉津たかしひび希美香高帆未来有希晃真汐祐奈篁汐音晴日あかね藤奈愛里煌みちる奈ツ城有貴進堂匠鶴野小巻琴浦ゆたか凛珠さあな朋菜あゆみ紫穂まいかミュージカル奈美ちはるはやみ甲志乃舞優奈ッ城有貴綾瀬なつ嵯峨みさ緒空輝つばさ洸弥和希実ようこ萌川菜千爽貴世笠置シヅ子匠りょう佳月美音初瀬みき舞奈かれん神代千穂瞳梨音相羽美穂陵ちはや東雲あきら美郷いつき1954年昭和29年御園座東京松竹少女歌劇メリー・ウィドウ英みちオペレッタ舞あかり友美愛麻美ゆう京極はる花レコード題名のない音楽会劇団陽月れなディナーショー歌手紺野あい帝劇晴嶺真歩(松平夏奈)雪白せいさ牧香織飛鳥悠子ライブ村尾亜紀伊織はやと佐渡裕1928年1984年歌園佐智子1950年琴野まいり天馬立篁セイ吉峯暁子紅いずみ香久耶雫大阪松竹歌劇団昭和28年昭和29年ACCHY昭和27年大阪松竹少女歌劇団昭和12年彩もりな昭和13年昭和8年輝かなゑ1961年1929年翔洵貴1959年1951年月川夏緒千原輝子沙羅アンヌ長谷川恵子1931年いぶき翔隼花るり月丘翔子麻里美由紀華彩ほのか瑞木彩乃洸弥和季奈ツ城夕貴

QRコード

名前:
メール:
件名:
本文:

いにしえ情報・OG情報など お寄せください。 お願いします。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。